2012年5月16日 (水)

⑬ 上海入門・豫園(5月3日)

Dc0504266  今日は、唯一、丸一日、上海観光できる日だ。「どこへ行こうか!」前夜、いろいろ検討してコースを考えたが、結局、この日行った所は以下の通り。

豫園 → 魯迅記念館等 → 清安寺 → 玉佛禅寺 → 泰康路 → 外灘の夜景

他にも、予定していた所もあるのだが、時間がなくて、結局こういうコースとなった。これでも、かなり忙しかった。

まず、この日の午前中、ゆっくり「豫園」へ行く。昨夜の老街のすぐ北にある広大な庭園だ。ま、上海観光と言えば、とりあえずは「豫園」と「外灘」である。

開園と同時に行った。ぞくぞくと入ってくるのは、やはり団体観光客の群れである。西洋人がとても多い。日本人グループも来ている。日本語のガイドが付いているグループに、つかず離れず、付いて歩き、変に思われ始めたら、別の日本語グループや、英語グループに移動しながら、だいたい全体的な説明は、ほぼ聞いた。

驚くべきは、龍の飾りの説明。塀や門の上に、龍のくねった飾りが乗っていて(写真)、それがとても素晴らしいと思っていたのだが、説明によると、「本当の偉い龍は、5本の爪があります。でも、この龍は4本。だから、これは龍ではないのです。大きなニシキヘビに過ぎないんです!」 だって。

かわいそうに、龍がニシキヘビに格下げだ。だが、ニシキヘビと言えば、「二胡」である。そうか、龍になれなかった、ニシキヘビの悲しみが、二胡の、もの悲しい音色の本質なのか。新しい発見をしたような気分だった。

豫園を出ると、すぐ南の「豫園商城(みやげ物店が集中している場所)」に自動的に入ってしまう。昨夜も思ったが、このあたりの建物は、「千と千尋」に出てくる湯屋そっくりである。そのケバさ、その猥雑さ!開き直った「野卑」の前には、「新天地」に代表されるような、お上品ぶった「スノッバリィ」なぞ、無力なもんだ。

「千と千尋」のアニメでも、普段はおとなしいカオナシが、この俗悪趣味の湯屋では、拝金主義の権化となって、大暴れするシーンがある。日本の現実を見せつけられるようで、見ているのもつらいシーンだ。

で、社会主義も行き詰まっているんだろうか。

⑫ 上海入門・新天地と老街(5月2日)

Dc0504235  上海に帰ってきて、地下鉄で、そのままホテルに帰るには、まだ少し早いと思い、すぐ、一号線に乗り、「新天地」へ行ってみることにした。

ここも、中国語のテキストなどで、ごちそうを食べるシーンで、よく出てくる有名な場所だ。夕暮れが近づいていて、だんだん暗くなってくる。1号線の駅から、「新天地」を通り抜けて10号線の駅まで、ぶらぶら歩くことにする。

あちこちのカフェやレストランに灯がともり、美しい黄昏時が、この「新天地」には似合っていると思った。上海中の西洋人が集まっているようで、何だかヨーロッパのオープンエリアにいるような錯覚。広場の街路樹が木陰を作り、その下のテラスでのメニューは、小龍包や餃子ではなく、パスタやステーキが主流だ。

でも、慣れない客には、何だかよそよそしい感じがしないでもない。スーツにハイヒール姿の女性が、つんとすましてすれ違う。会社からの帰りだろうか。どんな仕事をしているんだろう。

その後、かなり暗くなってきたので、さらに、10号線に乗って、豫園駅まで行き、豫園老街(写真)へ行った。豫園の南側に伸びる、古い町並みだ。夜が面白いと聞いていたので、暗くなってから行ったわけだ。

駅から少し歩いたが、たくさんの人がそぞろ歩き、とても夜とは思えないほどの熱気だ。どの店もライトアップされ、いつものごとく、音楽が鳴り響いている。

道は、どこまでも人の波が続き、道沿いのところどころ、狭い路地では、露天の食べ物屋が所狭しとぎっしり並んでいる。裸電球の、とてつもない眩しさの下で、ものすごい人々がうごめいている。その路地にいったん踏み込むと、身動きとれず、なかなか前に進めないし、後戻りもできない。私は、入り口付近をちょっとのぞいただけで、すぐ引き返した。

無駄な空間もなく、慇懃な態度もなく、「かっこつけたって、しゃ~ないやんけ!」という雰囲気に満ちあふれていて、「新天地」とは、対照的な場所だった。

この店の一角で、サイモンとガーファンクルの「サウンドオブサイレンス」という、とてつもなく古い歌が、エンドレスで流れていて、そのミスマッチに、妙に感動してしまった。

2012年5月12日 (土)

上海入門・朱家角からのバス(5月2日)

Dc0504159 朱家角は、とても楽しく、気がついたらもう午後の3時を、とっくにまわっていた。そろそろ上海に帰り始めねばならない。再びバス停に行く。

来たときのバスは、虹橋駅付近に着くのだが、本数的にも、「人民広場行き」のバスが主流のようだ。それに、人民広場のほうが、上海市の中心で、便利かもしれない、ということで、帰りは人民広場へ着くバスに乗ってみた。しかし、こちらは、9元で、しかも1時間半かかった。(来るときは、1時間で、6元。)

バスがやっと市内に入ったあたりで、隣の席に座った若者が、何やら私に話かけてきた。例によって「私は、中国語が話せない」と言う。するといかにも残念そうな顔をしたので、勇気をふるって、こちらから、ちょっと話しかけてみた。

ここで、楽しく話がはずめば言うことないなのだが、そうは行かない。「あ~」「う~」と唸り続けながら、彼は、上海の製薬会社で働いているが、出身は吉林で、昼間は会社で働き、夜は専門学校で、何かの資格をめざしているということが何となくわかった。

そのうち、バスは、終点の人民広場に到着したのだが、自分がどこにいるのか、全くわからない。広場はどこなのか。とりあえず地下鉄に乗らねば。

彼は一緒に地下鉄の乗り場をさがしてくれたが、なかなか見つからなかった。彼も、あまりこのあたりに詳しくないようだ。専門学校に遅れるといけないので、「自分で探せるから。もう学校に行ってね。」と何度も言ったが、親切にも、あちこちで、いろいろな人に聞きながら、結局は、地下鉄の入り口まで送ってくれた。

彼は、ちゃんと学校に間に合ったのだろうか。彼の努力がいつか、報われますように。そして、夢が、かなえられますように。

それにしても、バス停は、人民広場から、ずいぶん遠く、ややこしいところにあった。

写真は、朱家角の運河を行く舟。正面は、禅のお寺だった。

2012年5月11日 (金)

上海入門・朱家角のおみやげ(5月2日)

Dc0504210  このあたりは、絹の産地で、絹製品がたくさん売ってある。最初の「課植園」内のみやげ物店で、40元の絹のバッグを20元に値切って買った。それが、掘端の小さな店で、10元で売られているのを発見して、のけぞった。

やられた!やられた!

だいたい、どっかの美術館やら何やらの施設の中での買い物は、高いというのが定石なんだ。わかっていながら、用心しなかった自分が悪い。すごく腹がたって、次に入った店で、いろいろ買って、160元になったのを、100元に値切り、去り際に、店の外にあった一つ10元の品を、二つ5元で強引に買った。

江戸のかたきを長崎でうってどうする?

しかし、この日、注目の店は、何と言っても布団屋だろう。共倒れしないかとこちらが心配なくらい布団屋があちこちにあり、店の中でせっせと布団を作っている。出来上がりの商品は、ちゃんと持ち運びに便利なように、小さなビニール袋に詰め込んである。けっこうたくさんの人が買っていて、共倒れの心配はないようだ。我が家の布団は、「寒い、重い、寝心地が悪い」と、親戚筋から大変評判が悪いので、ひとつ買おうかと、真剣に思ったくらいだ。

商店街をさらに歩いていると、漢字を綺麗な装飾文字に書いてくれる店があった(写真)。これは、日本でも何度か見たことがある。ちょっと交渉すると、かなり安くしてくれた。日本での相場を知っているので、けっこう安いと思い、書いてもらうことにした。

書く間、いろいろ世間話をする。何となく、この人は、売ることよりも、お客と話をすることを楽しんでいるんじゃないかと思った。帰り、上海の空港で、全く同じようなものが、何と10倍近い値段で売られていて、ふたたび、のけぞった。

みやげ物は、空港でも買ってはいけない。

2012年5月10日 (木)

上海入門・朱家角の放生橋(5月2日)

Dc0504175 「上海入門」と書いたが、翌日は、上海見物せずに「朱家角」へ行く。

「朱家角」は、上海市と蘇州の間にある小さな水郷の村で、周荘や西塘と同じく、江南古鎮の一つである。蘇州の小型版で、緑と水の豊かな情緒あふれる村だ。この旅行の最初から、江南古鎮のどこか一つへ行こうと決めて、楽しみにしていたのだ。T氏とO氏が、周荘へ行って、人が多かったというので、私は、朱家角へ行くことにした。

ここへの行き方はいろいろあるが、私は、地下鉄2号線の終点、虹橋の次の駅からのバスに乗った。ローカルな公共のバスで、通勤客や買い物の人が大半で、観光客はほとんど乗っていない。朱家角までは、「ロク」と車掌が言う。6元だ。え~、日本語話せるじゃん!

バスに乗ること約1時間とちょっとで到着。村の入り口で、周遊券を買う。値段が3種類ほどあったが、どうせなら、と一番高い80元のを購入。乗船も含めて10カ所見て回れる切符だ。

小さな村と聞いていたので、半日で十分回れると思っていたが、もらった地図片手に、10カ所はかなり時間がかかった。しかし、水郷を取り巻くように見所が点在していて、うまく回れるように考えてあり、観光地として、きちんと整備されている。

最初に行った、「課植園」というのが良かった。古い郵便局や、工芸博物館なども見応えがあった。「廊橋」という古い木の橋も柳に囲まれて風情があった。船は、手こぎで、行った時、私しか乗客がいなかったが、お客が一人でも、ちゃんとすぐに船を出してくれた。

写真は、「放生橋」。朱家角の数ある橋の中で、もっとも古くて大きな橋である。ここから魚を放したとか、そんな話が書いてあった。

⑧上海入門・外灘(5月1日)

Dc0504147 鎮江では、朝起きたら、かなり雨が降っていた。こりゃ、とてもバスで、駅へ行けんなあ、とあきらめて、タクシーを呼んでもらった。まあ、昨日は一日、なんとか雨が降らなかったので、これでもラッキーと思わねば。

今日は、O氏と、昼に上海の博物館の前で待ち合わせている。鎮江では、ずっと一人だったので、O氏に会えるのは、とても楽しみだった。博物館へは、2号線に乗ればそのまま行ける、と思って、上海に到着して、地下鉄の乗り場を探すが、見あたらない。変だなあと、ふと上を見ると、「上海駅」と書いてある。

何や、何や、ここは、虹橋駅ちゃうんか。新幹線というと、虹橋駅と思いこんでいたが、上海駅から発着する新幹線もあるんだ。あわてて、路線図を見ながら、なんとか博物館まで行く。

博物館は、とても混んでいた。入場待ちの人の列が、広場の階段に沿って、ずうっと伸びて、石段の下からさらに左に曲がって、延々と続いている。思えば、新幹線も満席だったし、今日も、中国では休日なのだ。

O氏は、先に来て待っていてくれた。さっそく、人民広場あたりのレストランに入って昼ご飯を食べる。O氏とT氏は、上海観光と周荘の日帰り旅行をしたそうで、いろいろ話を聞いた。どこへ行っても大混雑だったそうだ。特に周荘へは、往復とも交通渋滞がすごかったという。

O氏は、今日の夕方4時過ぎの夜行列車で河北省にもどる。T氏はすでに南京へ出発した。K先生は、今頃、浦東空港でハルビン行きの飛行機を待っているはずだ。私は、この後、上海を観光する予定。28日からこっち、4人の同窓生は、会ったり別れたりしながら、それぞれの持ち場に帰っていく。とても「大人っぽく」て「素敵な」同窓会だったと思う。O旅遊公司様には、お世話になりました。Oさん、ほんとにありがとう!

さて、私は一人上海に残って、いよいよ上海入門編が始まる。何度か上海には来たことがあるのだが、毎回素通りで、ちゃんと観光するのは、これが初めて。だから、今回は、とにかく、徹底したおのぼりさんコースを行くことにする。

それで、O氏と別れたあと、まずは、「外灘」へ行った。しかし、南京東路からの道も、大変な混雑で、外灘も、手すりにもたれる隙間もなければ、坐るスペースもない。デートスポットと聞いていたが、わんわんと押し寄せる人の波に、つなぐ手も離れてしまうのではないか。

散策はあきらめて、船に乗ったが、これも満員だった。1回2元の渡し船で、15分ほどのクルージングだ。もっと長いクルーズもあるのだが、これだけ混んでいたら、15分で十分だと思った。乗っているうちに、かなり濃い霧が出てきたが、ヘリも飛んでいる。外灘の混み具合でも見に来たのだろうか。

2012年5月 9日 (水)

⑦鎮江にて・古西津渡街(4月30日)

Dc0504123 博物館で、思い切り古い物を見たので、今度は、街で一番賑やかな所といわれる「大一口」と「中山路」に行ってみる。

大一口では、広い道路は渋滞し、地下道にもぎっしり店が並び、各店店が、それぞれ大音量で音楽を鳴らしまくり、そのすさまじさたるや、西周時代も、春秋時代もあったものではない!ほうほうの体で、すぐに逃げ出し、駅前へ行って、明日の上海行きの新幹線の切符を買って、蘭州ラーメンを食べて、ホテルに帰った。切符は、並びもせず、希望の時間のが、すんなり買えて、行きの喧噪が嘘のようだった。

ホテルに帰ってから、今度は、すぐ横の、「古西津渡街」へ行く。もうさすがに夕暮れが迫り、あたりは薄暗い。しかし、店は、ほとんどが閉まっているのに、それでも散策の人は途切れず、いつまでもざわめいている。暗くなって、あたりの景色がよく見えないのは残念で、もっと早く来れば良かったと後悔した。このあたりは、博物館の北側で、古い町並みがうまく保存されていて、老舗が軒を連ねている。夜もライトアップされていて、端から端まで、じっくり歩いたが、やはり昼間のほうがいいようだ。

鎮江観光には、結局、今日一日しか費やすことができなかった。有名なお寺がもう一つあるのだが、それは時間切れだ。

本日行ったところは、焦山→金山寺→博物館→繁華街→古西津渡街 と、一日走り回った感じ。日本から、上海や蘇州、杭州あたりへは、たくさんのツアーが出ているが、鎮江へのツアーはあまり見たことがない。今日も、焦山で、二人連れの日本人とすれ違っただけで、ほとんど日本人には会わなかった。雪舟以降、まだ日本では、あまり知られていない観光の穴場という感じがする。

しかし、古西津渡街のカフェでは、日本のメニューもけっこう人気があるみたいだ(写真)。それにしても、「日本荻餅」って何だろう?一個8元。ひょっとして、「荻」じゃなくて、「萩」の間違いかなあ?!

⑥鎮江にて・はるか四大文明(4月30日)

Dc0504111 鎮江は、長江のおかげで、古代から東西文化の行き交う 交通の要所となり、いろんな文化人が訪れている。

中国の李白や白居易、王義之、日本からは、雪舟、弘法大師、西洋代表はマルコポーロなどがやって来た、と記録に残っているらしい。

鎮江そのものの街の起こりは、紀元前10世紀ごろにさかのぼる、と言うから、日本で言えば、縄文時代初期ごろか。日本では、人々は、竪穴に住み、貝などをむさぼっていた頃だ。

さすが、四大文明の重みはちがう。やはり、ここは博物館へ行かねば、ということで、お寺を二つ見た後、金山寺からまたバスに乗り、鎮江博物館へ行った。博物館は、元イギリス領事館だったそうで、ものすごく新しくきれいな建物だった。いかにも入館料が高そうだが、高くてもええわ、と思っていたら、無料だった。

ここには、国宝級の西周時代の壺があるのだ。しかし、いくら探しても見つからない。係員に、国宝はどこにあるのか、聞いたら、何やら言っていたが、その身振りから、どこかに仕舞ってあるか、貸し出しているのか、とにかく、ここにはないとのことだった。

写真は、その次に有名とされる、唐時代の銀器だが、花瓶か、燭台か、何だろうと思って、説明を電子辞書で調べてみたら、「盃を数える物」となっている。なんで、盃を数えるんだろう。。。まさか、飲み過ぎを注意するためなんだろうか。

2012年5月 8日 (火)

⑤鎮江にて・金山寺(4月30日)

Dc050479  焦山のあとは、金山寺へ行く。ここも、やはり連休でものすごい人だ。お寺は広く、てっぺんに登る狭い道は、押すな押すなの大盛況。

おいおい、また、階段かよ~。うんざりしながら、人の波にもまれているうちに、気がついたら、知らないうちに、階段を登っていた。

狭い道の途中に石窟があり、仏像が安置されている。このお寺にも、渡し船があり、池を渡って、「天下第一泉」まで連れて行ってくれる。この際なので、とりあえず、そこにも行ってはみるが、その泉というのも、プールのようなところに湧き水が溜まっているだけで、特にどうということはない。むしろ、ここに渡るまでの船からの風景が、いかにも水郷という感じで良かった。

ついでながら、金山寺というので、味噌の特産でもあるのかと思って、まわりの店を見て回ったが、どの店も、似たような大きな線香を売っていたが、味噌はなかった。ここは、黒酢が特産と聞く。

④鎮江にて・長江(4月30日)

Dc050457 翌朝、鎮江の空は曇り。天気予報は、「雨」となっているので、とりあえず、まだ降らないうちに、バスに乗って、一番遠い「焦山公園」へ行く。公園は、向かいの島にあるようで、渡し船に乗って行かねばならない(写真)。船の中は立錐の余地なく、定員オーバーではないのかと思う程の大混雑。ヒヤヒヤした。

ここは、島全体が公園になっていて、きれいに整備されている。お寺や碑林を見ながら、アヘン戦争の時に使われた砲台の横を通って、山のてっぺんにそびえる塔まで行った。山の頂上まで登るのも大変だったが、さらにその上の塔も、急で狭い階段が続く。

だが、塔の上からの景色は、苦労した甲斐があった。眼下に広がる濁った長江の流れは、これ一目だけで、4時間も虹橋で無為にしても、鎮江に来た値打ちがあるというもの。塔から降りるのももったいなくて、かなり長いこと欄干にしがみついていた。思えば、私は、長江を見るのは、これが始めてなのだ。

鎮江には、このあと行く、「金山寺」や「甘露寺」など、風光明媚な観光地があるが、これらもみんな長江のほとりに建っている。鎮江の町は長江と、紀元前からの、おつきあいなのだ。

2012年5月 7日 (月)

③上海にて・虹橋駅(4月29日)

Dc050406 K先生と、虹橋駅へ行った。3Fの切符売り場は、想像通り混雑していたが、まあ、この程度ならよくあるパターンだと、K先生と並ぶ。

K先生は、日系企業に就職した教え子に会いに、蘇州へ行く。私は、そのもっと先、南京の手前の「鎮江」へ観光に行く予定だ。途中まで、同じ新幹線で、K先生と一緒に行けるかも、と思っていたが、そんな甘い展開にはならず、窓口で、やっと手に入れることができたのは、K先生は午後3時半の新幹線。私に至っては、午後4時半発の新幹線だった。

まだ正午前なのに、こんな所で4時間以上も待たねばならないのか!!「もっと早いのはないの? ほんまに、ないのか!」と、必死に窓口で粘ったけど、まわりの人混みを落ち着いてみると、今日の切符が手に入っただけでも、良しとせねばならないのだろうか。考えてみれば、中国も今は、「労働節」の休暇なのだ。仕方ないので、それを購入し、K氏と駅で待つこと3時間半。

広いスペースにずいぶんたくさんの椅子が並んでいるが、それでも、なかなか空いている椅子が見つからない(写真)。ようやく席を見つけて、荷物を降ろす。それから、延々3時間半。

昨夜遅かったので、まもなく、私は欲も得もなく、爆睡始めるが、K先生は、「蘇州では、工場長が案内してくれるそうで」と、さっそく、ブレザーにネクタイと、身仕舞いを整え、颯爽としておられる。K先生は、夜行列車でハルビンまで来て、そこで夜を明かしたあと、飛行機で上海まで来ている。昨夜も、私と同じく、同窓会で遅かったのに、この体力の差はどうだ。いや、張り合う気はさらさらないのだが、あまりの差が、情けない。しかし、いくら情けなくても、やはり眠たいものは、眠たい。眠たい・・・ 

②上海にて・ー期一会(4月28日)

Dc050405  28日の夜遅く、同窓会のメンバー全員がそろい、ホテル近くの火鍋屋で、同窓会本番が始まる。K先生は、黒竜江省から、O氏は河北省、T氏は羽田、私は関空からの参加で、かなりグローバルな集まりとなり、「こういうこともええなあ」という気持ちになった。

朋あり、遠方より集まる。また、楽しからずや。

しかし、夜更けというのに、店の中はすごい騒音と喧噪で、再会をしみじみと味わう雰囲気からは、ほど遠い。ここで、改めて中国にいることを実感。

翌朝も、ホテル隣の食堂で、豆乳と小龍包の朝ご飯を4人で食べた。このあたりは、サッカー場も近く、食べる店はたくさんあって便利だ。

その後、上海観光にO氏とT氏が残り、私とK先生は虹橋駅へ行く(写真)。同窓会本番は終わった。とても短かかったが、O氏の言うとおり、まさに「ある意味での、一期一会」だった。

2012年5月 6日 (日)

①上海にて(4月28日)

Dc050401  同窓会が、上海であった。八王子セミナーでの同じ釜の飯グループの同窓会だ。4人集まった。二人が中国国内から、あとの二人が、日本からの参加である。とりあえず、4月28日に、上海のホテルに集まることになった。

私は、その後、29日・30日と、南京に近い、「鎮江」という古い町を見学し、再び上海に戻って、5月4日の夕方の飛行機で帰る、という予定。

上海へは、前回、雲南へ行った時と同じ飛行機に乗る。だが、関空に着いて、思わず、あ~っと叫んでしまった。そうだ!今日は、ゴールデンウイークの始まりの日なのだ!頭では、わかってはいたが、チェックインカウンターの前の長蛇の列に、おののいた。こんなに長い列は、今まで見たことがないわ。前回と何たる違い。ほんまに、上海に行けんのかなあ。日本中の旅行者がみんな上海に行くんじゃないか。

案の定、飛行機は遅れた。しかし、遅れては困るんだ。今回は、浦東空港で、K先生と待ち合わせている。空港に着いて、荷物を引きずりながら、携帯片手に、急ぎに急いで約束の場へ走って行く。

やっと、K先生の姿を見つけた!何ヶ月ぶりか。まずは、ミニ同窓会の始まりだった。

写真は、この日飲んだビール。サントリーと書いてある。                   

2012年2月 5日 (日)

雲南の旅28・とりあえずビール(1月17日)

Dc0117275 昆明からの飛行機は、関空行きだが、途中「上海」に寄る。

上海で降りる人がほとんどで、そのまま関空まで行く人は、ほんの数人だった。でも、関空行きのチェックインは国際線カウンターだ。上海までの人は国内線カウンター。

だから、早朝がんばって来ても、ほんの数人しかチェックインしないので、国際線といえども、「2時間前に来る必要は全然ないんです。」と隣のM氏は言う。かと言って、ゆっくり来れば乗れないわけで、だから飛行機は困る。

飛行機はほぼ満席で、乗客のほとんどが上海で入れ替わった。私たち数人も、上海で降りて、改めて出国手続きが必要で、狭い裏通路を通り、再び手荷物検査を受けて、新しい搭乗口へ行く。これも、けっこう時間がかかり、ほとんど何をするヒマもなかった。乗るのは同じ飛行機で同じ座席だったが、そこにたどり着くまでがややこしい。だから、上海を出発するまでは、安心してビールが飲めない。まあ、上海までは国内線扱いで、アルコールは出なかったが。

再び出発した飛行機の中で、急ぎ、ビールを二本もらった。前回、北京から帰る時、二本目をもらおうと思ったら、「没有」と冷たく言われたので、今回は早めに、まとめて確保したのだ。だが、考えてみたら、上海からのほうは、北京より、飛行時間が一時間短い。

短時間で二本も飲むのは大変で、しかし、せっかくの青島ビールも惜しく、旅の終わりも惜しく、いろいろ惜しんでいるうちに、気がつけば、あっという間に関空だった。

(写真は、麗江で見かけた快餐。寿司もあり、店の奥には、日本酒も並んでいる。さすがにチューハイはなかった。)

雲南の旅27・早朝の昆明(1月17日)

Dc0117174  この日乗る飛行機は、昆明空港、7:30発なので、必死になって、5:30に空港に行った。まだ真っ暗。

羮に懲りて膾を吹いたわけではなく、国際便だから、二時間前は当然だろう、と思って行ったら、なんとカウンターが開いていない。6時過ぎに、やっと人が出入りし始めて、係員が椅子に座る。ずいぶん待たされたが、関空までのチケットをもらってやれやれだ。Uさんは、8時前の別の上海行きに乗って、そこから関空行きに乗り換える。出発までUさんが見送ってくれた。

飛行機の中で、隣の人が日本語で話しかけてきた。聞けば、香格里拉にはもう何年も住んでいる日本人で、私は思わず、旅行の顛末を語ってしまった。雪のため、突然の旅行社のキャンセルに、結局、香格里拉に行けなかったと言うと、雪が降っても、たいてい公共のバスは走ってますよ。との返事。まあ、今更何を聞いても、どうにもできないのだが、一応聞いた話をまとめると、以下のようになる。

あの日も、たしかに道に雪はあったが、走れないことはなかった。ただ、ツアー会社のバスのタイヤはノーマルなので、雪が降るとすぐ敬遠する。公共のバスは走っていた。問題は、バスより飛行機のほうで、天候の良し悪しより、乗客の数で飛ぶか飛ばないかを決める。先日乗ったら、客は全部で15人だった。これだけ客が少ないと、いつ欠航になってもおかしくないので、冬の飛行機はあてにできない。だから自分も今回はバスで昆明まで来た。

これだけの情報があれば、判断も楽だったのに、何故、これだけの情報が麗江では、得られなかったんだろう。観光で食っているなら、旅行者への正確な情報提供こそが一番のサービスではないか。。。そんなことをつらつら考えているうちに飛行機は離陸した。

写真は、標高4600メートルのみやげ物屋に坐っているナシ族の長老。名前を漢字で書くと、それをトンパ文字に書きなおしてくれる。下でも同じようなことをやっているだろうと思っていたら、そういう店は見あたらず、ここで書いてもらうんだった、と残念だった。

2012年2月 3日 (金)

雲南の旅26・過橋米線(1月16日)

Dc0117331 雲南最後の晩ご飯は、「過橋米線」だ。正義路の金馬門のすぐ横にある店がおいしいとのことで、雲南に来た最初の夜もここで食べた。

雲南は、水も豊富で暖かいので、米がたくさんとれる。米で作った麺を米線(線の字がちょっと違うが)と言い、雲南の名物となっている。一方、北の地方は雨も少なく寒いので、小麦中心で、そのため餃子などが主流の食べ物になっている。

「過橋米線」とは、昔、若妻が、科挙の試験勉強にがんばっている夫のために、作った家庭料理だ。夫は勉強に集中するため別居しているので、妻は、橋を渡って麺を届ける。ある時、鶏肉を入れたところ、鳥の油で、いつまでも熱かったのを発見。以後、橋を渡って持って行っても冷めないように、鶏肉を入れるのが正式レシピになった。

この「過橋米線」の由来は、昨年大学で学生たちから聞いたもので、実際食堂でも、何度か食べたことがある。食堂のは、いきなり全部丼に入って出てきたが、本場、昆明のは、まずスープと具が別々に出てくる。このスープがものすごく熱くて、ここに、具をすぐに入れなければならない。小さな卵なら、すぐに固まってしまうほど熱いスープだ。具を入れて待っていると、やがて麺が皿に入って出てくる。麺は、細いのか太いのか、選ぶことができる。また、この具には、いろんな種類があって、種類が多かったり豪華な内容だと値段も高くなる。私たちは、2回とも、10元の「並」を注文した。

2012年2月 2日 (木)

雲南の旅25・老街(1月16日)

Dc0117323 正義路の西側に、老街が広がっている。前回は、時間も遅くて、行きそびれたので、今回行ってみたが、結局、今にも崩れそうな古い建物が並んでいるだけで、特にこれと言った見所はなかった(写真)。

一筋東へ移動すると、新しくてにぎやかな店が、最新のファッションを競っていて、その差の意外性が、面白いと言えば面白い。ただ、こういう場所が、どんどん壊されて、新しいマンションなどが建てられているのは、どことも同じなのだろうけど。

特筆すべきは、この道沿いに露天が並んでいて、ペット用の子犬がいっぱい売られていたことである。情が移ってはいけないと思い、あまり熱心に見なかったが、いろんな種類の子犬が、箱に入って寝ている姿に心が動いた。中国雲南の犬は、たいてい、小さく、胴長短足、平たい顔族。しかし、ここには、レトリバーなどの大型犬の子どももたくさんいた。

屋台もたくさん出ていて、路上パーフォーマーが二胡を弾いている。いつか、こんなところで、私も二胡を弾きたいものだ。

雲南の旅24・西山名勝(1月16日)

Dc0117318 西山名勝区は、山あり水あり崖あり寺ありで、変化に富んで面白かった。民族村から徒歩で西山行きのロープウェイ駅まで行けるのも良かった。景色も良かった。乗り物も、ロープウェイ、リフト、バッテリーカー、バスなど、いろいろあって、全部乗った。というか、全部乗るようにうまく配置されている。しかし、高くついた。

民族村から対岸を眺めて、「すごい断崖があるわ」、とUさんと言い合っていたら、そこが西山だった。昆明の南西部で、民族村から対岸の西山まで渡るロープウェイから、昆明の町全体が見渡せる。昆明は改めて、大きな町だと思った。

対岸に着いたら、リフトで、崖の頂上付近までのぼり、そこから洞門などを見ながら険しい道を降りていく(写真)。途中「竜門石窟」があり、何となく菊池寛の「恩讐の彼方に」を思い出したが、背景が違うか。。。

下に降りて、公共のバスを乗り継ぎ、まっすぐに昆明一の繁華街、正義路へ行く。これで、民族村と西山に行ったのだが、ツアーだとこれに、お茶と足つぼ(?)と花市の、3つのコバンザメが付いて、帰るのがかなり遅くなる。

2012年2月 1日 (水)

雲南の旅23・少数民族(1月16日)

Dc0117293 香格里拉に行かなかったので、その分、昆明の観光も一日増えて、この日は丸一日、昆明観光に費やすことができた。

「雲南民族村」と「西山名勝区」へ行くことにする。前回の「石林」へはバスツアーで行ったが、今回は、自力でバスを乗り継いで行くので、この日の予定には、コバンザメはいない。ジンベイザメだけの勝負で、観光としてはきわめてシンプルだ。

だが、前日の夜、駅前で、いろんな人に「雲南民族村」への行き方を聞いてまわったが、みんな違うことを言うので、大変だった。ここでは、自力で何かするのは、ほんとに疲れる。

「雲南民族村」(写真)は、少数民族の広大なテーマパークで、民族ごとに展示があって、ここに来れば雲南の少数民族を網羅できる。しかし、麗江や大理で、たくさんの少数民族に直に会ってきたので、十分や、と思いながら行ったが、ほんとにそうだった。シーズンオフで、客も少なく、踊りなどのイベントも、いまいち気合いが入っていない。

服や踊りはともかく、少数民族の進学や就職などの実態はどうなっているんだろうか。通りすがりの旅行者には、見えてないことがたくさんある。

雲南の旅22・雲南大学(1月15日)

Dc0117291 昆明では、今夜のお宿を探さねばならない。大学の近くなら、学会や招聘教師のための、そこそこの宿泊施設があるはずだ、と思い、空港からけっこう遠かったが、「雲南大学」へ行ってみた。

門を入った正面に、深い緑に囲まれたアーリーアメリカン調の大きな階段があり、南国の豪華な休日を過ごすのにぴったりの雰囲気だ。ここに日本語科はあるのかしらん。

で、豪華でなくてもいいから、このあたりで泊まるところはないかと、いろいろな人に聞いてみたが、よくわからない。Uさんと私の両方の経験からみて、多分あるはずなのだろうが、やはり、個人レベルの情報があまりにも貧弱なので、結局、大学の近くでは、泊まるところが見つからなかった。

仕方がないので、昆明駅前に戻ろうとしたが、町は、今までみたこともないほどの、ものすごい人と渋滞で渦巻いている。今朝までいた麗江の豊かなスペースが信じられない。

今夜は、前回泊まった駅前のホテルに泊まることにした。

2012年1月31日 (火)

雲南の旅21・再び昆明へ(1月15日)

Dc0117283 朝から快晴だった。古城入り口の水車のあたりから、玉龍雪山がものすごく綺麗に見えた(写真)。この広場では、すでに、こぶしの花が満開である。山も花も綺麗だが、今日の午後には、飛行機で昆明だ。

飛行機からも、山がよく見えた。山の向こうに山が重なり、どこまで行っても山また山。遙か奥は、ヒマラヤか。山の分厚い重なりを見ていると、なんとなく怖いような気持ちになった。「オリエンタリズム」のような屈折した神秘ではなく、もっと純粋な「恐れ」のようなもの。

しかし一時間もたたないうちに、飛行機の前方に、昆明の高層ビル群が見えてきて、ホッとしたような、うっとしいような、何とも言えない緊張感が戻ってきた。

「都会生活か、田舎生活か」答えるのは難しいが、空港でのタクシー争奪戦で、一気に答えが出そうだった。昆明は、タクシーの数が少ないのか、つかまえるのに、苦労する。

常春の昆明は、やはり暖かく、上着が重い。

雲南の旅20・苗族の少女(1月14日)

Dc0117268 麗江の街角で出会った「苗(ミャオ)族」の少女。

ミャオ族の民族衣装は、他を圧倒する光り物のアクセサリーが特徴だ。テレビで見たことのある、銀色の大きな冠や胸元の分厚いネックレスなどを、間近でじっくり見せてもらった。

少女は手に近くのレストランのメニューを持っていた。店から、メニューを持って立っているよう言われているのだろう。そしてお客をたくさん呼び込むように言われているのだろう。レストランの従業員なのか、呼び込みのバイトなのか。目立つ民族衣装を着て立っているのが、恥ずかしくて、いやでたまらない、という風情だった。

私たちのように、写真を撮らせてもらうだけで、レストランには行かないという、良くない旅行者もたくさんいるのだから、当然なのかもしれない。

2012年1月30日 (月)

雲南の旅19・トンパ文字(1月14日)

Dc012801  マジで「幸福」と読む。

ナシ族のトンパ文字のTシャツ。Kちゃんへのおみやげだよ。

Tシャツを買った日の夜、ナシ族の「納西古楽会」へ行った。泊まっている客桟のすぐ横にホールがあって、毎晩ナシ族の民族楽器のコンサートがある。例によって、夏専用のホールで、ドアがなく、暖房設備もなく、ものすごく寒かった。しかし、80歳台の現役奏者もけっこう多く、平然と演奏しているので、こちらもがまんして坐っていた。演奏の合間に、楽器の説明もあって、古代エジプトから伝わった楽器が、ここ麗江で独自の発達を遂げた、という珍しい弦の楽器も紹介された。

トンパ文字は素敵だ。消滅しないよう、楽器同様、ちゃんと守られているんだろうか。

雲南の旅18・客桟(1月14日)

Dc0117257 香格里拉(シャングリラ)行きをとりやめたら、いろいろしなければならないことがあった。

まず、さしあたっては今夜の宿が必要だ。同じホテルに3泊するのも、もったいない気がして、ここはひとつ「客桟」に泊まってみようということになった。客桟とは、民家などを改造して作った小さな旅館や民宿みたいなもので、この麗江の古城内にはいっぱいある。とりあえず、古城内のにぎやかな場所にある客桟に決めた(写真)。民宿旅館とはいえ、かなり清潔で設備もととのっている。なんと、今夜のお宿には、パソコンがあって、ネットもできた。

次は、明日昆明に帰るための飛行機の予約をしなければならない。バスでも帰れるのだが、9時間かかる。飛行機だと、50分だ。飛行機の威力はすごいもんだ!バスで来たので、帰りは飛行機に乗りたい。麗江から昆明までけっこうたくさん飛んでいて、一日15本はあったようで、当日でも乗れそうだったが、次の日のお昼すぎのを予約した。

さて、必要なことをやってしまうと、やっと落ち着いた気分で、あらためて古城内を見学することにした。見学すべきところはあまりないのだが、まあ、町のたたずまいや雰囲気を味わうとか、買い物に奔走するとか、そういうことだ。

かなり歩いて、古城内のことはだいたい頭に入った頃、もう夕暮れだった。食堂で、晩ご飯のとき一緒に飲んだ、「松子酒」がとても美味しかった。また飲もうとあとで探したが、どこにも売っていなかった。

いろいろあったけど、麗江は、この旅行の中で一番良いところだと思った。ここには、また来てもええなあ。

2012年1月29日 (日)

雲南の旅17・ヤク (1月13日)

Dc0117218 その電話がかかってきたのが、そろそろお風呂にでも入ろうか、という午後の10時前だった。

「大雪で、香格里拉(シャングリラ)への道が通行止めになっています。だから明日のバスツアーは、キャンセルします。ツアー代を返金するので、事務所に来て下さい。」

え~っ!!!今更、何やねんな~っ。とにかく、旅行社に急いで行く。この寒い夜更けに、まだ、たくさんの人が広場に集まって遊んでいた。

「大雪が降りました。バスは、今日も明日も、一台も走れません。香格里拉に行くのは無理です。」お金を払い戻しながら係員が言う。Uさんがうまく交渉してくれて、220元で、なかなか行けない見所満載のツアーを申し込んで、楽しみにしていたのに、一本の電話でめちゃくちゃになった。

旅行社から帰る途中、ホテルのフロントで、「明日、香格里拉に行こうと思ってたのに、ツアーが雪のため中止になったけど。」と聞いてみたら、「へええ、本当ですか。」という答えが返ってきて、こっちが驚いた。道が通れないというのは、ホテルにとっても旅行会社にとっても一大事のはずなのだが、そんなせっぱつまった感じが全くない。ホテルのフロントでは、何の情報も得られなかった。

部屋に帰って、Uさんと緊急対策会議を開く。少ない情報で決断迫られて、とても苦しかったが、結局、香格里拉行きは取りやめた。最大の理由は、車をチャーターして行けたとしても、帰りが不安だったからだ。香格里拉から昆明まで、飛行機で帰り、その翌日には日本に帰ることになっている。香格里拉から飛行機が飛ばなかったら、大変なことになる。大理行きに乗り遅れたどころの騒ぎではない。「香格里拉は取りやめ」重大な決定をしなければならなかった。

こらっ、ヤク!のんびり草など食べている場合か!

2012年1月28日 (土)

雲南の旅16・ナシ族の村(1月13日)

Dc0117244 雪山を下りたあと、東巴村、白沙、束河小鎮とタクシーでまわる。

東巴村は訪れる人も少なく、暗い谷間の村で、わびしい限りだ。だが、その山深さは、なんとなくチベット文化を近くに感じて、それもまたいいのかもしれない。民族楽器を使った合奏があり、仲間に入って演奏できる。Uさんは、古琴を演奏した。私は大きな琵琶を渡してもらったが、隣のおじさんの二胡を強引に借りた。久しぶりの二胡の手触りは、とても懐かしかった。しかし、あとでわかったことだが、この琵琶こそが、ナシ族ならではの伝統楽器だった。

次の白沙は、古い村がそのまま残されて、みやげ物も多い。辻でナシ族のおばあさんが、何やら誘ってくるが、すぐ後ろに坐っている別の野菜売りのおばあさんが、首を振って、「そいつの誘いに乗るなよ!」と私たちに無言の忠告してくれている。時間がないので、誘いに乗らず、ここでの一番の「売り」の木氏の壁画を見て、ちょっと歩いてすぐタクシーにもどった。

最後の束河小鎮(写真)が一番おもしろかった。世界遺産にもなっているようで、その分かなり力が入っていて、観光客も多い。町中にもきれいな河が流れていて、あちこちのウッドデッキにオープンカフェがあり、どこかしゃれた西洋の町を歩いている感じがした。ここは、中国であるが、まったく別世界のようだった。

雲南の旅15・標高4500メートル(1月13日)

Dc0117164 その玉龍雪山は、麗江のシンボル的な山で、万年雪の山が、空飛ぶ銀龍に見えたことからその名がついたそうである。

麗江の街はすでに標高2600メートルで、そこから例のロープウェイで、一気に4506メートル地点まで登る。標高4500メートルというのは、日本では体験できないことだ。私は、富士山に登ったことがなく、3193メートルの北岳が最高経験で、それより実に千メートル以上も高い所に行くわけだ。

何を着ていこうか、換えの服など、あるわけないのだが、一応迷ってみて、とりあえず持ってる服を全部着た。ヒートテックのシャツにフリースのポロシャツ、フリースのジャケットにスキーヤッケ。ユニクロとモンベルの専属モデルになった。

しかし天気が悪く、ロープウェイからの景色はほとんど見えない。ロープウェイの頂上駅でも、さらに天気が悪く、吹雪いてあたりは真っ白。とても残念だがどこにも行けない。仕方がないので頂上の喫茶店で、しばらく坐って休む。立ち上がると、ちょっとふらついた。バランス感覚が悪くなっているのか。そう言えば、しゃべるのがおっくうだ。ゆっくりと大きな口を開けてしかしゃべれない。試しに、その場で軽く足踏みしてみると、すぐにハアハアと息が切れた。

高度4500メートルは、やはりただごとではない。酸素ボンベが売られていて、けっこう買う人がいた。Uさんは、頭が痛いと言っていた。

特に見るべきものはないが、とりあえず、4500メートルの吹雪の様子。(写真)

2012年1月27日 (金)

雲南の旅14・相場(1月13日)

Dc0117185 「まだ2千元も使ってないわ。」Uさんが財布をのぞきながら言った。
まあ、飛行機代などは別会計だが、ほとんど買い物はしていないので、安く来ている。

今日は、丸一日、華麗なる麗江観光だ。まず、何と言っても玉龍雪山へいかなくては。

ところが、その入り口で、遊覧券が必要だ。それが220元。そこから乗るロープウェイに150元。ロープウェイまでのバス代が20元。麗江古城入村料80元。東巴村入村料40元、それにタクシーのチャーター料100元。あっという間に500元を超えて、朝から気が遠くなりそうだった。

中国では、観光料金が高いのはなんとなくわかっていたが、それにしても、だ。遊覧券の、220元が解せない。数カ所の観光地への入場料なのだが、その中には、さらに電瓶代としてよけいに取られるところもある。それに、古城代の80元にもおどろきだ。一体何に使われているのか、聞いてみたい。取れるところから、何でも理由をつけて取ろう、という感じする。麗江観光は、ものすごく高くついた。そうはいっても、この日も、一日タクシーをチャーターしたが、それでもこの日は一台200元と安かったが、一昨日の三塔などを見学した大理では、旅行会社なのに、タクシーのチャーター料は700元と、わけわからんほど高かった。

観光の相場料金というのがきわめて不透明だ。観光などは、最近の事業なので、まだ確立できていないところがたくさんある。

しかし、食べ物だけは、商務ランチ(ビジネスランチ)が10元と、これの相場は安定していた。

写真は、170元のロープウェイ。天候が良かったら、それだけの値打ちがあった、と思ったかもしれないが。

2012年1月26日 (木)

雲南の旅13・オリエンタリズム(1月12日)

Dc0117248  麗江に到着したのは、もう6時ごろだった。緯度が低いので、その分日没が日本より遅いけれども、さすがに、薄暗くなりかけている。誰に聞いても、2時間半と聞いた道のりは、5時間もかかっていた。

遅くなったが、古城内へ行ってみる。ここも、大理同様、街の中心は古城になっている。城壁は見かけなかったが、にぎわいは大理以上だ。この寒いのに、観光客の数も、大理と比較にならないほど多い。特に西洋人の姿が目立っていて、なんとなく、E.サイードの「オリエンタリズム」を思い出した。

要は、西洋人の、東洋に対する上から目線についての本だが、この東洋というのは、主に中近東のことで、サイードの頭には、中国というのは、さらにもっと遠い存在だったようである。

しかし、神秘と言えば神秘だが、古城内は、「商売繁盛」のエネルギーが渦巻いていた。この際「帝国主義」だろうが「上から目線」だろうが、何と言われようとも、とにかく「ようけ買うてもろたらええねん!」という雰囲気。

小さな食堂で晩ご飯を食べたのは午後9時を過ぎていた。

2012年1月25日 (水)

雲南の旅12・風車の丘(1月12日)

Dc0117159 午後から、バスに乗って、麗江へ出発。ホテルに迎えに来たのが、とてもボロいワゴン車で、「こんなんで麗江まで行くんか。。。」と、Uさんと暗い気持ちになって落ち込んだ。

しかし、城壁を出たところで、大きなバスがやって来て、結局、それに乗り換えて麗江へ行くことになっていたようで安心した。

昨日通った、「喜州」への道を再び通り、三塔を左に見ながら、バスは北上する。峠をいくつか越え、山また山の荒野をバスはひた走る。今まで見たこともないような、遙かな景色が窓の向こうに広がっては消える。道は全面舗装されて二車線確保されているが、あってないようなガードレールの外は断崖で、かなり怖いところもあった。

昨日、麗江行きのバスの予約をしたい、と案内ガイドに言うと、ガイドは携帯で、自分の所属する旅行社と何やらしゃべっていたが、その携帯を私に差し出し、「これで、今予約しなさい。」と言う。「中国語は話せない。」と断ると、「英語で予約できるから。」と言う。「Hello...」と、おそるおそる言うと、「日本人の方ですか?」と、携帯の向こうから、流ちょうな日本語が聞こえてきて吃驚。

その時渡されたガイドの携帯は、ずしりと重く、いっぱいアプリが付いていて、ただの携帯ではなく、スマホのようだった。こんな田舎町で、スマホが日常的に使われているのだ。これにも驚いた。

麗江への途中、人の住まない荒れた丘の上に、ずらりと並んでいたのが、風力発電用の風車(写真)と、携帯用のアンテナ。

あのアンテナのおかげで、このバスの予約ができたというわけだ。